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2011年05月19日(木)

原子力事故の実態(10): 永田町異聞メルマガ [クリニックにて]

永田町異聞メルマガ版
     
      「国家権力&メディア一刀両断」 2011.05.19号

                         
                  新 恭(あらた きょう)



  原発耐震指針が認める「残余のリスク」とは何か    


計算方法はいざ知らず、地球が誕生して46億年になるという。それから8億
年ほどして現れたバクテリアが、生命の起源らしい。

アフリカに最初の人類が出現したのが、さかのぼること500万年とも700
万年ともいわれるから、ここまではもう観念的に割り切って理解するしか方法
はない。

それからさらに無限とも思える時間が過ぎて、氷河期が終わったあとの1万〜
1万3000年前にようやく農耕がはじまり、そのころから文字や金属製の道具が
発明されるようになった。二、三の文献にあたってみると、どうやらそんなと
ころが今の定説のようだ。

地球では、地殻が動き、マグマが噴き上がり、水や大気が様々な変化をたどっ
て、数限りない生物の誕生、進化、滅亡のドラマが繰り広げられたのだろう。

人間は地球と太陽の恵みを受けて文明を生み出してきたが、地球の資源を貪欲
に探し求め、採掘して本格的にエネルギーや商品の原材料として使うようにな
ったのは、産業革命以後といえよう。46億年という時間の流れからいえばつ
い最近のことだ。

近代化は人間と地球の緊張関係をつくる。地球の資源を枯渇まぎわまで掘りつ
くし、核分裂という魔法のエネルギーをあみ出した人間は、原子爆弾をつくり、
世界のあちこちに放射能を蓄積する原子力発電所を設置した。

福島第一原発の惨禍は、天変地異といえど地球にしてみれば活動の一つにすぎ
ないことが、近代社会にとって時間、空間をこえた無限リスクにつながるのだ
という戦慄すべき事実を、人類に突きつけた。

ドイツの社会学者、ウルリッヒ・ベック氏は朝日新聞のインタビュー記事で、
福島の原発事故を次のように語った。

「人間自身が作りだし、その被害の広がりに社会的、地理的、時間的に限界が
ない大災害です。(中略)原子力だけではありません。気候変動やグローバル
化した金融市場、テロリズムなどほかの多くの問題も同じような性格を持つ。
福島の事故は近代社会が抱える象徴的な事例なのです」

「私たちが使っている多くの制度が、元来はもっと小さな問題の解決のために
設計されていて、大規模災害を想定していないのです。私たちは、着陸するた
めの専用滑走路ができていない飛行機に乗せられ、離陸してしまったようなも
のです」

ベック氏が言うように、少なくとも日本の原子力政策においては、大規模災害
を想定していない、いや想定できても無視しているとしか思えない事実がいく
つもある。

たとえば2006年9月19日、原子力安全委員会が決定した「発電用原子炉施設に
関する耐震設計審査指針」を見てみよう。

阪神大震災から11年目にして、ようやく原子炉の耐震設計を審査するための指
針を改定したのが、これである。

この文書を開くと、基本方針の解説で、次のような記述に出くわす。

「耐震設計においては、『極めてまれではあるが発生する可能性があり、施設
に大きな影響を与えると想定できる地震動』を適切に策定し、それを前提とし
た耐震設計を行うことにより、周辺の公衆に対し、著しい放射線被ばくのリス
クを与えないようにすることを基本とすべきである」

さらっと読めば何の問題もない文章に思える。ところが、書き手の本音はつね
に「細部」に宿る。

まずもって、「著しい放射線被ばくのリスクを与えないよう」という文言にひ
っかかりを感じる。著しくなければ被曝していいのか、ということになる。こ
のあとの記述はもっと問題だ。

「地震学的見地からは、上記のように策定された地震動を上回る強さの地震動
が生起する可能性は否定できない。このことは、耐震設計用の地震動の策定に
おいて、『残余のリスク』が存在することを意味する」

「残余のリスク」とは何か。その説明の部分に、驚くべきことが書かれている。

「策定された地震動を上回る地震動の影響が施設に及ぶことにより、施設に重
大な損傷事象が発生すること、施設から大量の放射性物質が放散される事象が
発生すること、あるいはそれらの結果として周辺公衆に対して放射線被ばくに
よる災害を及ぼすことのリスク」

そして、最後にこう締めくくられている。「この『残余のリスク』の存在を十
分認識しつつ、それを合理的に実行可能な限り小さくするための努力が払われ
るべきである」

以上の文面は何を意味しているのであろうか。

地震動を想定し耐震設計をしても、その想定を上回る大地震が起こる可能性が
ある。そのため、原発の施設が破壊され、大量の放射線が放出し、一般市民が
被曝するというリスクが残る。それを「実行可能な限り」という、範囲、条件
付きで、小さくするよう努力が払われるべきだとしているのである。

すると、放射能大量流出事故が起き市民が被曝することもあるという、ある種
の許容的な前提のもとに、原子炉の耐震設計の審査指針がつくられたというこ
とになりはしまいか。

それを認めたうえで、被曝のリスクを小さくするための「実行可能な」努力を
せよというのだ。

「実行可能」というのは、電力会社が経営という制約の中で、「できる範囲
の」という意味であろう。人命より電力会社のコスト面その他に配慮し、適当
なところでお茶を濁しているように感じられてならない。

本来なら、どのように大規模な地震、津波にも耐えられる先進的かつ細心の設
計をし、一般市民を被曝させる危険をゼロにするよう求めるべきであろう。

リスクを完璧になくすることはしょせん無理であるにしても、指針に「リスク
が残る」ことを容認する姿勢を打ち出しているというのでは、「本気度」がど
こまであるのか首をかしげてしまう。

もし、耐震基準を厳しくしておけば、今回の事故のように全電源喪失に至らな
いよう、バックアップ設備を十分すぎるほどに充実させておくことも可能であ
ったはずだ。

多重防護の思想が、燃料棒被覆管、圧力容器、格納容器といった原子炉建屋内
の放射能封じ込めだけにとらわれ、冷却用の電源をどんな事態になろうと確保
するという強い意志が原子力安全委員会の議論に欠落していたのではないだろ
うか。

ベック氏の言う「着陸するための専用滑走路ができていない飛行機に乗せられ、
離陸してしまった」ような危うさが、原発施設の設計思想に、もともと内在し
ていたと思わざるを得ない。

東電は事故発生から約2か月を経た最近になって、中央制御室の計器解析や聞
き取りが進んだからという理由で、事実を小出しに公表し始めた。

これまで炉心損傷としか表現してこなかった1号機のメルトダウン(炉心溶
融)を初めて認め、2、3号機についてもその可能性が高いという。

東電によると、1号機のメルトダウンは次のような経過で引き起こされた。

3月11日午後2時46分に東日本大震災が発生、午後3時半ごろ津波に襲われ、3時
42分、全電源を喪失した。

午後4時36分に冷却システムによる注水ができなくなり。午後7時半には燃料棒
が完全に水面上に露出。このため炉内の温度は急上昇し午後9時に2800度に達
した。

燃料棒は、温度が900度前後になるとウランの燃料ペレットをおさめる被覆管
が溶けて水素を発生、2800度にいたるとペレットそのものが溶けはじめる。地
震発生当日の午後9時には溶融が始まっていたということだ。

その後、12日の未明、炉心溶融による熱で、格納容器内に放射能を含む水蒸気
が充満して圧力が異常に上昇し、放射能閉じ込めの最後の砦である格納容器が
破壊される恐れが出てきた。

仮にそうなると、40年間にもわたる運転で炉内にたまっている膨大な量の放射
性物質が大気中に放出されてしまうことになる。

格納容器の圧力を減らすために放射能汚染を承知で水蒸気を外部へ出す「ベン
ト」という作業を12日午前10時17分に開始し、圧力は下がり始めたが、12日午
後3時36分、水素爆発が起こり。建屋の上部が吹き飛んだ。

溶融したウラン燃料は12日午前6時50分ごろに圧力容器の底に崩れ落ちた。さ
らに燃料の溶けた塊りはその熱により、分厚い圧力容器のうちでもっとも脆弱
な部分である底を突き抜け、格納容器の底にたまっていった。

この崩壊熱を冷やすため、ひたすら水を原子炉に入れ続け、その結果、処理で
きない膨大な量の放射能汚染水が施設内にたまり、一部が海に流れ出している
のは周知のとおりだ。

非常用ディーゼル発電機を含む全電源の喪失で制御不能になったことが招いた
「負の連鎖」だった。

電気をつくる施設で電気を失い、しかもその復旧さえできなかったのは、なん
とも皮肉なことだが、つまるところ「残余のリスク」を容認する原子力行政の
生ぬるさが、手抜かりを引き起こしたと考えて差し支えないだろう。

その背後に、原子力発電所を建設すること自体にからむ利益共同体の巨大な力
が働いていることは間違いない。

原発建設にかかわる電力会社、原子炉メーカー、ゼネコン、それらに融資する
銀行は、営業域内の国民という固定した顧客を与えられ、独占的安定ビジネス
でがっぽり儲ける仕組みになっている。

そして、それらの企業は豊富な資金でマスコミに広告料を提供し、学者に研究
開発費を拠出して、利益共同体にとって都合の良い情報を世間に拡散させる。

経産省などの官僚には「天下り」、原発推進派の政治家には「政治資金」とい
う、抜かりない利益供与の黙契のもと、有利な原子力行政を推進してもらうよ
う仕向けてきた。

それだけに、「残余のリスク」が現実化したいま、そうした「原子力村」の
面々は、いまだに悪夢を見ている思いに違いない。

東電の清水社長も、原子力安全委員会の班目委員長も、自分の代は平穏に過ぎ
るだろうと、タカをくくっていたことだろう。

それにしても、3月12〜16日の間に福島第一原発で起こっていたことについて、
いかに情報が少なくとも、水素爆発や放射能汚染の状況を分析すれば、専門家
ならチェルノブイリに匹敵する、いやそれ以上の深刻な事態であることを把握
できていたに違いない。

にもかかわらず、政府、東電はどうして楽観的な見通しを語り、テレビに引っ
張り出された、東大教授など立派な肩書きの学者たちは、その安心情報に合わ
せてウソをつき続けたのか。

そのために、避難が遅れた多くの人々が放射能にさらされた。大人の何倍も放
射能の悪影響を受けやすい子供たちのことを思うと胸が痛む。

しかし、いまだに原子力村の御一行は、みんなで乗り合わせた大切な飛行機だ
から、着陸する滑走路が見えなくとも、「安全・安心」と呪文のように唱えて
いたいようである。

彼らにかかれば、人命を脅かす歴史上最悪の原発事故さえもが「より地震に強
い原子力発電所づくりの良き教訓、すばらしい参考材料」になってしまうのだ。

嘘か本当か、放射能医学の専門家が「福島には研究のサンプルとなる事例がた
くさんできる」と話していたという。

学問が、学術研究のためにだけ存在するのならむなしいことだ。あくまで人々
がより充実した生をまっとうするために寄与するのが学問本来の意義であろ
う。
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Posted by 管理者 at 10時41分

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