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2012年09月11日(火)

セミリタイアまで1年になりました [クリニックにて]

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新人スタッフは、Benが45才と思っていたそうです・・・

皆様、ご無沙汰しております。
化粧品会社の代表の仕事で、関東へ出張を繰り返していました・・・
その報告は、また日を改めてと言うことで、
本日は、9月10日に54才の誕生日を迎えた報告です。
 毎年やってくる誕生日ですが、今回は55才セミリタイヤまで1年という、意味深い誕生日でした。

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和気あいあい・・・がなによりです。

当院では、Benと成先生、千頭先生がともに9月生まれの「乙女座」トリオです。
そこで、今年はスタッフの企画で、「合同誕生日会」を催してくれました。
 アネックスで、テイクアウトメニューで、ワイワイガヤガヤ・・・
外食よりも、自宅で寛いでいるような気分で、皆、快適です。

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「乙女座」トリオは人気沸騰の予感!

スタッフからのプレゼントは
Ben:血液型別ワイン、星座Book、ほんもののプラネタリウム!
成先生:トンガ王国のプリンス・セット?ではなく、マフラーセット
千頭先生:TUMIの出張用バッグ
でした。
家族に囲まれているような、夢心地の素敵なパーティーナイトは、ほんわかホンワカ続きます・・・

帰宅すると、
鈴子ママから「コーヒーメーカー」
子供達から「肩たたきサービスチケット」
をプレゼントしてくれました。
さらに、娘からのスペシャルは「カラオケ」で2時間連続歌い続けサービス

セミリタイアまで1年の誕生日は、静かに、心地よく「過去物語」へ移ろいでいきました・・・

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本物のプラネタリウム!最高です。

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いつでも、美味しいコーヒーは嬉しい!

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手作りのサービスチケット。期限なし?

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娘の歌声でほろ酔いPAPA


Posted by 管理者 at 12時06分   パーマリンク

2012年02月14日(火)

バレンタイン・チョコレート:2012年 [クリニックにて]

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皆様、
毎年毎年のお心遣い
本当にありがとうございます。

自宅で、子供達が群がるように集まり、
半日で全て、食べ尽くしてくれました。

ホンマに、子供には驚かされます・・・

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自宅では、
子供達がプレゼントされたチョコも含めて
ショッピングカートに入れて、リビング自由に移動です。

しかし、年々、チョコの意匠は凝られている気がします・・・
食べるのがもったいない、素敵なデザインばかりで困ってしまうのは、父親だけで、子供達は、チョコの破片を播き散らかしながら、
あっという間の「完食」でした。

Posted by 管理者 at 14時06分   パーマリンク

2011年12月22日(木)

検察とメディアが低レベルである事実 [クリニックにて]

僕は、いつも日本のメディアは当てにならないから、ニュースなども見るだけ無駄だと提言しています。
真実を知れば知るほど、馬鹿らしくなります。
検察もお粗末そのものです。
自分が取り調べを受けたら、「でっち上げ」で晒し者になると考えるだけで、ゾッと!!!します。
権威と権力に呆けた、ヒステリー集団とは関わり合いたくないものです。

以下、検察のお粗末さを暴露した、前田元検事の証言に関するコラムを転記しておきますので、知的に興味のある方はお読みください。


永田町異聞メルマガ版
     
      「国家権力&メディア一刀両断」 2011.12.22号

                         
                  新 恭(あらた きょう)



  前田元検事が暴露した小沢捜査の妄想


「私は受刑中で社会的にはすでに死人です」

東京地裁の法廷で、検事の地位から罪人に転落した男は、捨て鉢なその言葉を
甲高い声で吐き出した。

村木冤罪事件で、証拠のフロッピーを改ざんした大阪地検特捜部の元検事、前
田恒彦。

どういう手練手管を使うのか、供述引出しに長け、当代随一の「割り屋」とい
われる検事だった。

小沢一郎をターゲットにした陸山会事件の応援に東京の特捜部から呼ばれたの
も、その腕を見込まれたからだ。

前田の眼から見た東京地検特捜部の小沢捜査はどんなものだったのか。法曹資
格を失って、もはや古巣に遠慮することもなく、守るべき地位や名誉もない男
の口から、何が飛び出してくるのか。

12月16日の第10回公判は、証人として法廷に呼ばれた前田に対し、検察
役の指定弁護士、小沢側弁護人の双方が尋問するはじめての機会だった。まさ
に小沢裁判のヤマ場である。

その成り行きは、想像以上に波乱の様相を呈した。陸山会捜査の欺瞞的本質を、
かつて内側にいた男が暴き出す、前田独壇場の一幕となった。

大半の検事が無理筋と知っていながら突き進んだ捜査だということも彼の証言
ではっきりした。

特捜部長ら数人の幹部だけがやる気満々で、その他多くの検事が捜査に疑問を
抱いて士気も低下していたにもかかわらず、いったん始めたがゆえに引き返す
ことができなかったのだ。

まさに、戦前の日本軍から戦後の霞ヶ関に連綿と受け継がれている日本的組織
特有の「失敗のDNA」がここにも表れた感が強い。

当初、最高検は前田を証人として出廷させることをためらった。その理由につ
いて、前田が法廷で語った。

「陸山会事件の捜査では検察のやり方に問題があったと私は思っているが、法
廷では偽証ができないので、聞かれれば、そのまま思っていることをすべて答
えることになる。そうすれば、どんな話が出てくるか予断を許さない状況にな
る」

検察は、前田の証言になにがしかの恐れを抱いていた。当然、検察という組織
について不利になることをバラされたくないという思いが検察トップにはあっ
ただろう。

前田にしてみれば、保身のために口をつぐむ必要は、もはやない。雄弁に法廷
でしゃべり続け、前田の独壇場のようになったのは、復讐や悔恨の入りまじっ
た彼の感情が一気に解放されたせいかもしれない。

筆者がこの小沢裁判第10回公判で、最も関心を持ったのは、前田の眼のスク
リーンに映った小沢捜査というものが、どのようであったかということだ。前
田の口からその一端が語られるかもしれないという期待感が強かった。

果たせるかな、思った通りの展開になった。検事であった人物が、自分も捜査
に加わった事件についてこれほど赤裸々に語ったことはかつてなかったはずだ。

そこで、筆者はこの日の公判で前田が語った内容をもとに、いわば内幕ドキュ
メントを組み立ててみることにした。

物語は、石川、池田に続いて大久保と、3人の元秘書が逮捕された2010年
1月16日ごろから始まる。

週末というからおそらく大久保が逮捕された16日の土曜日だろう、大阪地検
特捜部に出勤していた前田は、大坪特捜部長の部屋へ呼ばれた。夕方というこ
ともあって、大坪部長、佐賀副部長はビールを飲んでいた。

大坪は「まあ、まず一杯」と、前田にビールをすすめたあと、「すまんが東京
へ応援に行ってくれ」と切り出した。前田には大阪でやるべき仕事があったが、
上司の命令には逆らえない。

陸山会への捜査規模拡大にともない、1月20日、前田を含め全国から20人
の検事が東京地検10階の事務課に集合した。全員で佐久間特捜部長、吉田副
部長にあいさつまわりをした。

吉田副部長の部屋では前田一人が残され、ソファーに差し向かいに座った吉田
から「大久保の取り調べをやってもらう」と言われた。

木村主任検事からは「この件は特捜部と小沢の全面戦争だ。小沢をあげられな
ければ特捜の負けだ。恥ずかしい話だが、東京には割り屋がいない。だから大
阪に頼ることになった」という話があった。

自信家の前田としては、こう持ち上げられたら悪い気はしなかっただろう。そ
れでも多少は東京特捜部への反発があったらしく、16日の法廷で本音が漏れ
た。

前田が当時、大阪の事件の内偵を抱えていたことについて小沢側弁護人から
「東京地検特捜部は大阪地検特捜部の捜査を中断させても応援を取るような上
位にあるのですか」と聞かれると、こう言った。

「本当にふざけるなという感じですよね。大阪は厚労省事件があっても東京か
ら応援を借りることはないのに…」

こんな経過があって、前田は大久保の取り調べに着手した。そして、すぐに分
かったことがあったという。

「(小沢氏の)4億円はどこから来たのかいろいろと(他の検事らに)聞きま
した。5千万円は水谷建設、1億円は○○建設などと筋を描いていました…た
だ、業者を調べる担当検事らは、うまく裏献金の話を聞き出せていないと感じ
ました」

収支報告書の記載の件などはどうでもよいというのが特捜部の本音で、捜査の
重点は裏金に絞られていた。しかし、現場の検事は立件の困難さを感じていた
ようだ。

「裏献金で小沢先生を立件しようと積極的なのは、佐久間特捜部長や木村主任
検事など一部で、現場は厭戦ムードでした」

小沢の事情聴取が1月23日に行われ、木村主任検事が担当したが、不首尾に
終わった。ますます特捜内部の空気は悪くなる。

「最初に、主任検事が小沢先生を割れませんでした。主任が負けて帰ってきた
のに、そんな主任のもとで頑張ろうとは思いませんでした」

前田ははじめから、この捜査の見立てに疑問を持っていた。

「もっと小沢先生周辺や奥様の資金周りを調べるべきだと思いましたが、それ
ができていなかった。4億円が企業からの献金と『妄想』する人もいたが、正
直ついて行けなかった」

「小沢先生周辺や奥様の資金周り」という言葉に筆者は注目した。

小沢は元赤坂の個人事務所の金庫にあった4億円について記者会見でこう説明
している。

「湯島の自宅を売却して深沢に自宅を建てたさいの差し引き残金約2億円と、
家族名義の口座から引き出した3億6000万円、計約5億6000万円の一
部だ」

この説明に辻褄が合うかどうかは、小沢や和子夫人の通帳、銀行資料、土地建
物の売買契約書や謄本などの資料を調べれば分かるはずで、検察がここに問題
を見つけることができなかったがゆえに、捜査に行き詰まったことは明白だ。

強制捜査に着手する前に、そのあたりをよく調べておくべきだったというのが
前田の言っている「小沢先生周辺や奥様の資金周り…」の意味ではないかと推
測できる。

だから佐久間特捜部長から「大久保はどう?」と聞かれたさいに、前田は「頑
張ってみますけど難しいです」と答え、小沢立件は無理であることをほのめか
した。「小沢先生まで行くことはないと思った」と言う。

大久保は自分への企業献金があったという話はしたが、小沢への裏金について
は「コンクリートの塊」と前田が形容するように固く否定したようだ。

石川議員の取り調べについて、前田は担当の田代検事から聞いたことを次のよ
うに証言した。

「石川さんが陸山会と関係なく、ウナギの養殖業者から賄賂をもらったという
話があって。実は贈収賄にはあたらないんですけどね。それを贈収賄として調
書を取って、『(収支報告書の)虚偽記載を認めなければ考えがあるぞ』と
(吉田検事が迫った)。それでも石川さんは頑張った。田代検事も『あいつ
(5千万円を)受け取ってないんじゃないか』と話していた」

前田は、小沢裁判が始まる前、前田を証人として申請した検察役の指定弁護士
と会って、事前の打ち合わせをしたという。

「ざっくばらんに、捜査の問題点を含めて申し上げた。『私は小沢さんが無罪
だと思う』『指定弁護士も職務上大変ですね』と。捜査にいろいろ問題があっ
たことも言いました」

実はこのあと、第10回公判におけるもっとも重要な発言が飛び出す。

「証拠隠しのことも…言ったかな? 言わなかったかな?」

当然、小沢弁護人は「証拠隠しとは何か」と質問する。前田の口からは待って
ましたとばかりに、以下の言葉がほとばしった。

「裁判では検察審査会の議決が妥当だったかどうかも審理されますよね。そこ
で検察の資料として検審に提出されるもので、証拠になっていないものがある
わけですよ。」

「石川さんの調書に問題があったんじゃないですかね。石川さんの調書には弁
護士からのクレーム申し入れがたくさんあるんです。それが証拠に含まれてい
れば、審査会が見て、調書の信用性は減殺されるわけですよね…裏金を渡して
いるという検察の想定と違う取り調べ内容は、証拠化しないんです」

「4億円のうち5千万円は水谷かもとなっても、残りの3億5千万円は分から
ない。何十人の検察官が調べて、出てこない。検審にそれが示されれば、水谷
建設の裏献金の信用性も、減殺されていたはず」

要するに、検察が石川の供述調書のうち、弁護士からクレームのついたものな
ど、小沢サイドに有利に働く証拠を隠さずに出していれば、検察審査会の判断
も「起訴相当」議決にいたらなかった可能性があると前田は言っているのだ。

そして、こうしたやり方は小沢に対する捜査に限らない、すなわち検察の習性
だということを以下のように語った。

「想定に合わなければ証拠にならないというのがこれまでの検察で、私も感覚
がずれていて、厚労省の(証拠改ざん)事件を起こすことにもなった」

前田自身も村木冤罪事件で、特捜部の想定に合う証拠だけを集めようと躍起に
なり、そのあげく、罪を犯してしまったことを悔いてみせることで、検察の集
団妄想的な組織特性を告発したといえるかもしれない。

ところで、「4億円の裏金は一部検事の妄想」とする今回の前田元検事の証言
は、政権交代直前の最大野党党首を狙い撃ちした無理筋の国策捜査であること
を本質とする小沢裁判にとって、きわめて重大、かつ具体的な告白である。

にもかかわらず、主要新聞各紙はどこも、ほとんど目立たない扱いであったし、
テレビでも短いニュースは流れたものの、報道ステーションやニュース23クロ
スなど夜の報道番組は取り上げていなかったと記憶する。

巨額の裏金が動いたことを隠ぺいするため小沢事務所が虚偽記載したというス
トーリーを検察の尻馬に乗って吹聴してきたマスメディアは、裁判の過程で捜
査着手当初の報道と違う重要証言が飛び出した場合にはしかるべき扱いで必ず
フォローし、読者、視聴者に広く知らせてイメージの修正をはからねばない。

そうでなければ、初期段階における捜査の間違った想定が長期にわたって世間
の隅々にまでこびりつき、最悪の場合は人を不当にも社会的に抹殺してしまう
ことになる。
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Posted by 管理者 at 14時22分   パーマリンク

2011年09月10日(土)

53歳 サンセットがシミます・・・ [クリニックにて]

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スタッフの皆さん、ありがとう!!!

今年もスタッフから、誕生日を祝っていただきました。

ミーティングの後、スタッフ一人一人が「一輪の花」を持って来て、
一言一言、お祝いの言葉を掛けてくれました・・・
涙がにじむのを堪えるやっとの感激です。

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53歳のサンセットは一際シミます

僕は、幼い頃から、夕暮れ時が一番好きでした。
それから何十年経っても、やはり夕暮れが好きです。
人生の種まき、成長を終えて、育てて収穫したものを持って静かに家路につく・・・
そんなイメージが大好きです。
55歳でリタイヤすることを20年前には決めていました。
後2年足らずですが、
大好きな「人生の夕暮れ」を楽しみたいと思います。

Posted by 管理者 at 18時44分   パーマリンク

2011年05月19日(木)

原子力事故の実態(10): 永田町異聞メルマガ [クリニックにて]

永田町異聞メルマガ版
     
      「国家権力&メディア一刀両断」 2011.05.19号

                         
                  新 恭(あらた きょう)



  原発耐震指針が認める「残余のリスク」とは何か    


計算方法はいざ知らず、地球が誕生して46億年になるという。それから8億
年ほどして現れたバクテリアが、生命の起源らしい。

アフリカに最初の人類が出現したのが、さかのぼること500万年とも700
万年ともいわれるから、ここまではもう観念的に割り切って理解するしか方法
はない。

それからさらに無限とも思える時間が過ぎて、氷河期が終わったあとの1万〜
1万3000年前にようやく農耕がはじまり、そのころから文字や金属製の道具が
発明されるようになった。二、三の文献にあたってみると、どうやらそんなと
ころが今の定説のようだ。

地球では、地殻が動き、マグマが噴き上がり、水や大気が様々な変化をたどっ
て、数限りない生物の誕生、進化、滅亡のドラマが繰り広げられたのだろう。

人間は地球と太陽の恵みを受けて文明を生み出してきたが、地球の資源を貪欲
に探し求め、採掘して本格的にエネルギーや商品の原材料として使うようにな
ったのは、産業革命以後といえよう。46億年という時間の流れからいえばつ
い最近のことだ。

近代化は人間と地球の緊張関係をつくる。地球の資源を枯渇まぎわまで掘りつ
くし、核分裂という魔法のエネルギーをあみ出した人間は、原子爆弾をつくり、
世界のあちこちに放射能を蓄積する原子力発電所を設置した。

福島第一原発の惨禍は、天変地異といえど地球にしてみれば活動の一つにすぎ
ないことが、近代社会にとって時間、空間をこえた無限リスクにつながるのだ
という戦慄すべき事実を、人類に突きつけた。

ドイツの社会学者、ウルリッヒ・ベック氏は朝日新聞のインタビュー記事で、
福島の原発事故を次のように語った。

「人間自身が作りだし、その被害の広がりに社会的、地理的、時間的に限界が
ない大災害です。(中略)原子力だけではありません。気候変動やグローバル
化した金融市場、テロリズムなどほかの多くの問題も同じような性格を持つ。
福島の事故は近代社会が抱える象徴的な事例なのです」

「私たちが使っている多くの制度が、元来はもっと小さな問題の解決のために
設計されていて、大規模災害を想定していないのです。私たちは、着陸するた
めの専用滑走路ができていない飛行機に乗せられ、離陸してしまったようなも
のです」

ベック氏が言うように、少なくとも日本の原子力政策においては、大規模災害
を想定していない、いや想定できても無視しているとしか思えない事実がいく
つもある。

たとえば2006年9月19日、原子力安全委員会が決定した「発電用原子炉施設に
関する耐震設計審査指針」を見てみよう。

阪神大震災から11年目にして、ようやく原子炉の耐震設計を審査するための指
針を改定したのが、これである。

この文書を開くと、基本方針の解説で、次のような記述に出くわす。

「耐震設計においては、『極めてまれではあるが発生する可能性があり、施設
に大きな影響を与えると想定できる地震動』を適切に策定し、それを前提とし
た耐震設計を行うことにより、周辺の公衆に対し、著しい放射線被ばくのリス
クを与えないようにすることを基本とすべきである」

さらっと読めば何の問題もない文章に思える。ところが、書き手の本音はつね
に「細部」に宿る。

まずもって、「著しい放射線被ばくのリスクを与えないよう」という文言にひ
っかかりを感じる。著しくなければ被曝していいのか、ということになる。こ
のあとの記述はもっと問題だ。

「地震学的見地からは、上記のように策定された地震動を上回る強さの地震動
が生起する可能性は否定できない。このことは、耐震設計用の地震動の策定に
おいて、『残余のリスク』が存在することを意味する」

「残余のリスク」とは何か。その説明の部分に、驚くべきことが書かれている。

「策定された地震動を上回る地震動の影響が施設に及ぶことにより、施設に重
大な損傷事象が発生すること、施設から大量の放射性物質が放散される事象が
発生すること、あるいはそれらの結果として周辺公衆に対して放射線被ばくに
よる災害を及ぼすことのリスク」

そして、最後にこう締めくくられている。「この『残余のリスク』の存在を十
分認識しつつ、それを合理的に実行可能な限り小さくするための努力が払われ
るべきである」

以上の文面は何を意味しているのであろうか。

地震動を想定し耐震設計をしても、その想定を上回る大地震が起こる可能性が
ある。そのため、原発の施設が破壊され、大量の放射線が放出し、一般市民が
被曝するというリスクが残る。それを「実行可能な限り」という、範囲、条件
付きで、小さくするよう努力が払われるべきだとしているのである。

すると、放射能大量流出事故が起き市民が被曝することもあるという、ある種
の許容的な前提のもとに、原子炉の耐震設計の審査指針がつくられたというこ
とになりはしまいか。

それを認めたうえで、被曝のリスクを小さくするための「実行可能な」努力を
せよというのだ。

「実行可能」というのは、電力会社が経営という制約の中で、「できる範囲
の」という意味であろう。人命より電力会社のコスト面その他に配慮し、適当
なところでお茶を濁しているように感じられてならない。

本来なら、どのように大規模な地震、津波にも耐えられる先進的かつ細心の設
計をし、一般市民を被曝させる危険をゼロにするよう求めるべきであろう。

リスクを完璧になくすることはしょせん無理であるにしても、指針に「リスク
が残る」ことを容認する姿勢を打ち出しているというのでは、「本気度」がど
こまであるのか首をかしげてしまう。

もし、耐震基準を厳しくしておけば、今回の事故のように全電源喪失に至らな
いよう、バックアップ設備を十分すぎるほどに充実させておくことも可能であ
ったはずだ。

多重防護の思想が、燃料棒被覆管、圧力容器、格納容器といった原子炉建屋内
の放射能封じ込めだけにとらわれ、冷却用の電源をどんな事態になろうと確保
するという強い意志が原子力安全委員会の議論に欠落していたのではないだろ
うか。

ベック氏の言う「着陸するための専用滑走路ができていない飛行機に乗せられ、
離陸してしまった」ような危うさが、原発施設の設計思想に、もともと内在し
ていたと思わざるを得ない。

東電は事故発生から約2か月を経た最近になって、中央制御室の計器解析や聞
き取りが進んだからという理由で、事実を小出しに公表し始めた。

これまで炉心損傷としか表現してこなかった1号機のメルトダウン(炉心溶
融)を初めて認め、2、3号機についてもその可能性が高いという。

東電によると、1号機のメルトダウンは次のような経過で引き起こされた。

3月11日午後2時46分に東日本大震災が発生、午後3時半ごろ津波に襲われ、3時
42分、全電源を喪失した。

午後4時36分に冷却システムによる注水ができなくなり。午後7時半には燃料棒
が完全に水面上に露出。このため炉内の温度は急上昇し午後9時に2800度に達
した。

燃料棒は、温度が900度前後になるとウランの燃料ペレットをおさめる被覆管
が溶けて水素を発生、2800度にいたるとペレットそのものが溶けはじめる。地
震発生当日の午後9時には溶融が始まっていたということだ。

その後、12日の未明、炉心溶融による熱で、格納容器内に放射能を含む水蒸気
が充満して圧力が異常に上昇し、放射能閉じ込めの最後の砦である格納容器が
破壊される恐れが出てきた。

仮にそうなると、40年間にもわたる運転で炉内にたまっている膨大な量の放射
性物質が大気中に放出されてしまうことになる。

格納容器の圧力を減らすために放射能汚染を承知で水蒸気を外部へ出す「ベン
ト」という作業を12日午前10時17分に開始し、圧力は下がり始めたが、12日午
後3時36分、水素爆発が起こり。建屋の上部が吹き飛んだ。

溶融したウラン燃料は12日午前6時50分ごろに圧力容器の底に崩れ落ちた。さ
らに燃料の溶けた塊りはその熱により、分厚い圧力容器のうちでもっとも脆弱
な部分である底を突き抜け、格納容器の底にたまっていった。

この崩壊熱を冷やすため、ひたすら水を原子炉に入れ続け、その結果、処理で
きない膨大な量の放射能汚染水が施設内にたまり、一部が海に流れ出している
のは周知のとおりだ。

非常用ディーゼル発電機を含む全電源の喪失で制御不能になったことが招いた
「負の連鎖」だった。

電気をつくる施設で電気を失い、しかもその復旧さえできなかったのは、なん
とも皮肉なことだが、つまるところ「残余のリスク」を容認する原子力行政の
生ぬるさが、手抜かりを引き起こしたと考えて差し支えないだろう。

その背後に、原子力発電所を建設すること自体にからむ利益共同体の巨大な力
が働いていることは間違いない。

原発建設にかかわる電力会社、原子炉メーカー、ゼネコン、それらに融資する
銀行は、営業域内の国民という固定した顧客を与えられ、独占的安定ビジネス
でがっぽり儲ける仕組みになっている。

そして、それらの企業は豊富な資金でマスコミに広告料を提供し、学者に研究
開発費を拠出して、利益共同体にとって都合の良い情報を世間に拡散させる。

経産省などの官僚には「天下り」、原発推進派の政治家には「政治資金」とい
う、抜かりない利益供与の黙契のもと、有利な原子力行政を推進してもらうよ
う仕向けてきた。

それだけに、「残余のリスク」が現実化したいま、そうした「原子力村」の
面々は、いまだに悪夢を見ている思いに違いない。

東電の清水社長も、原子力安全委員会の班目委員長も、自分の代は平穏に過ぎ
るだろうと、タカをくくっていたことだろう。

それにしても、3月12〜16日の間に福島第一原発で起こっていたことについて、
いかに情報が少なくとも、水素爆発や放射能汚染の状況を分析すれば、専門家
ならチェルノブイリに匹敵する、いやそれ以上の深刻な事態であることを把握
できていたに違いない。

にもかかわらず、政府、東電はどうして楽観的な見通しを語り、テレビに引っ
張り出された、東大教授など立派な肩書きの学者たちは、その安心情報に合わ
せてウソをつき続けたのか。

そのために、避難が遅れた多くの人々が放射能にさらされた。大人の何倍も放
射能の悪影響を受けやすい子供たちのことを思うと胸が痛む。

しかし、いまだに原子力村の御一行は、みんなで乗り合わせた大切な飛行機だ
から、着陸する滑走路が見えなくとも、「安全・安心」と呪文のように唱えて
いたいようである。

彼らにかかれば、人命を脅かす歴史上最悪の原発事故さえもが「より地震に強
い原子力発電所づくりの良き教訓、すばらしい参考材料」になってしまうのだ。

嘘か本当か、放射能医学の専門家が「福島には研究のサンプルとなる事例がた
くさんできる」と話していたという。

学問が、学術研究のためにだけ存在するのならむなしいことだ。あくまで人々
がより充実した生をまっとうするために寄与するのが学問本来の意義であろ
う。
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Posted by 管理者 at 10時41分   パーマリンク

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